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氏神様
私たちは日本という国に生まれ、日本特有の文化があります。神社はその昔からあり、そして古き時代から言い伝えられ、守られています。豊作の神、闘いの神など日本が古くからお祀りしている神様は人間には支配できない所に神の存在を認めていたのでしょう。
神社といえば初詣やお祭りの時にしか足を運ばないですが、初詣も何故か毎年の行事のような感じでお詣りしているのではないでしょうか。(中には人混みにもまれてまで行かなくても・・・・とお考えの方もいらっしゃいますが。)
初詣もお詣りするからには、ご祈願してくることでしょう。神頼みです。大きい神社に行けばそれだけ御利益があるかと言えば全く関係ありません。大きい神社の神様はそれなりの格付けも上です。下々の人間の願いを全て聞いているわけではありません。
私がリーディングする限りでは、一番身近に神様がいらっしゃるとすれば、氏神様です。今では日本の文化の氏神様を信心する方は少ないのではないでしょうか。
神様の話を少し致します。
クリスチャンはヨーロッパ、アメリカなど、多数信者がいらっしゃいます。ユダヤ教でも、イスラム教でも海外の神様はそこの土地や文化に合った神様なのです。日本は神社として神を祀っていました。日本の文化土地に合ったやり方だったと思います。日本人として生まれ、日本の土地にいるからには、神社との関係は否定できないと思えています。
(勿論、信仰の自由という日本の文化です。神社を信仰することを強制していないのも日本の文化です。日本人なのですから、色々な信仰があっていいと思っています。)
かつてはもっと神様は身近に信心していたと思います。お祭りも神様への感謝や祈願の行事から始まっています。こういう行事は代々受け継がれています。神社の神様はそれでよいと考えているようです。
地球規模で考えると神を信仰する心はどの民族にもあると思います。私が感じるままをお伝えしますと、神という形は一つの人間?の形をしており、キリスト教なら目の部分、ユダヤ教なら肺の部分、イスラム教なら骨盤の部分と一つの神様の細胞単位に近い状態で、信心しているような気がしています。違う宗教は全く自分の知らない機能があるものです。関連もしています。ですから、神の心の「愛」という部分では全てが共通している信仰なのではないかと思えています。
話しを元に戻します。
氏神様はその土地、土地に祀られる神様で、お住まいの住所には管轄の神社があるものです。近所の神社がそうかというと、これも、住所と関係するので、隣町なら、その神社ではないと思います。
ある神社のお話をしましょう。かつて古くからある神社がありました。私が就学時代育った所です。小学校から帰ってくるとその神社に行ってはブランコやら、滑り台などで、よく遊んだものでした。
リーディングしてみました。古い時代が蘇ります。まだ、村の頃でした。そこの村長さんは面倒なお祭りなんてもう廃止しよう。と何人かの役員の間だけで決めてしまいました。神主さんやお年寄りの言うことなど聞いてはくれません。「今時こんな事やっているところなんて無いぞ。」と言うのです。その代からその神社にはお祭りがありません。
神様は自分を大切にしてくれない住民をずーと見ていたのだと思います。やがて近代になって高速道路の話しが舞い込み、ごく一部の旧家ばかりの家が立ち退かなければならなくなってしまいました。この神社の管轄から離れていかなければならなくなってしまったのです。現在では、高速道路も出来、町は変わりました。神社をリーディングしてこのことをお伝え頂いたことを深く受け止めています。
この神社は小さい山か、塚の神様です。3つ小さな山が見えます。今でもその神社は沢山の人をお守りしています。高速道路が出来る土地全てがそうと言うわけではありません。全て同じ理由であるはずがありませんので、ご理解下さい。
今、現在住んでいる場所の氏神様の所へ家族をお詣りに連れて行きました。神社の裏側に大きな名杉があります。見上げるとそこには神の気があります。
その後、母をリーディングしたとき、氏神様から頂いたお印が付いていました。金色の丸い紙のようなものが張り付いています。神様は近くにいらっしゃり、お守りしてくれているのだと思えています。
お願い事をするときは、氏神様は近くまでいらして聞いてくださるような感じがしています。引っ越したら氏神様にお詣りすることをお勧めします。ご自分の住所をお伝えし、宜しくお願いしますと、ご挨拶をするのも習慣になるといいなと思っています。
お稲荷様をお祀りし、参拝されるのでしたら、必ずお願い事をするときとご挨拶をするときは、「あげ2枚」をお供え下さい。たとえ、小さい向拝宮にもお供えをしてください。あげをご持参していないのでしたら、お詣りは控えた方が宜しいかと思っております。
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